人生の午後を楽しむアラカン女のブログ

2016年夏、高齢の母のため実家の秋田県大仙市に移住。元ニットデザイナー。現在はネットショップ運営を中心に活動中。また実家の森川農園の手伝いも。アラカン女、小須田逸子の日常と思う事をありのままに書いていきます。

カテゴリ:ライフスタイル > ジプシー暮し

私は現在、実家の母が高齢になって秋田県大仙市にほとんど住んでいます。事務所の住所も昨年こちらに移しました。

でも、実は住所は千葉県印西市のままなんです。主人がそこにいるからね、一応(笑)

その千葉県印西市、6年連続で住みやすい街の日本一なんだそうです。
とても名誉でありがたいことではあります。でも、本当なの? 本当に住みやすいの???
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画像はイメージです。適度に東京に近く、適度に田舎なのが住みやすいのかな?

印西市に引っ越したのは、今から30年近く前。上の息子が4歳、次男が2歳になろうという時で、子育てまっさいちゅうでした。

まだ千葉ニュータウンが今のように発展していなくて、ゴーストタウンのようでした。今は住宅が立ち並ぶ印西牧の原駅のあたりは原野だった。山菜取りの人が来てましたよ。

駅はまだ千葉ニュータウン中央駅までしかできていなくて、あれよあれよと言う間に印西牧の原駅ができ、印旛日本医大駅ができ、今は成田までつながりました。

お店もなくて、大きな買い物をするときには、成田や柏や取手まで行きました。これは車の免許がないとやっていけないと、すぐに自動車学校に通いました。子どもふたりを連れて自動車学校のお迎えのバスに乗って行ったわ。1回で試験に合格して超うれしかったのを覚えています。

たしかに以前よりは住みやすくなった。ジョイフル本田ができてからは、考えられないくらいに大きなお店ができ楽しくなりました。日本医大もできたし。

私が住んでいるのは、北総開発鉄道ぞいではなくて、JRの小林駅前です。ここは、反対に北総線が開発されたことでさびれてしまいました。

越して来た30年ほど前は、朝の7時前後の電車は満員で、東京まで座れなかった。駅前の自転車置き場は通勤通学の自転車であふれかえっていました。今では7時代の電車も余裕で座れるし、自転車も少なくなりました。

東京まで通勤していた人は退職の年齢になり、通学していた子どもたちは大人になり家を出て、今では小林はプチ過疎の街です。一気に高齢化って来るんですね。

千葉県は温暖だし、雪も降らないし、東京までそれなりに近い。だけど自然がいっぱい。家賃は東京よりぜんぜん安い。その点では住みやすいのかな。

でもデメリットもある。北総開発鉄道の料金は、日本でトップを争う料金の高さです。JR成田線は単線のまま。人口が減っているから複線にはならないでしょう。

そして、鉄道はすべて東京に向かっているので、千葉県内の移動は車しかありません。同じ印西市でも、JR側から北総開発鉄道側への移動手段がないのです。車の運転ができない人にとっては不便な街でしかありません。

いろいろあるけれど、住みやすさ日本一として名前が上がるのはうれしいことです。これからも、一気に過疎化することを避けて、楽しい街になるように、住人もできることをしなくては! と思います。

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午前中に東京での用事を済ませ、今、秋田行きの新幹線に乗っています。

東京は暑かった。そしてやはり刺激的でした。
たくさんの人がいて、たくさんの仕事があって、たくさんの考え方がある。

外国人も大勢いて、それぞれに楽しんでいる。

大きな野望、小さな夢、混沌としていてエネルギーにあふれている。

秋田での自然の中での生活ももちろん大好き。食べ物の美味しさでは秋田に軍配が!

私はそのどちらも好き。都会の良さも欠点も知っているし、田舎の良さや欠点も知っている。

両方を知っていて、頻繁に行き来しているって、私の強みの一つなんだろうな。

それを生かす方法がわからない私です。

とりあえずは、あともう少しで始まる森川農園の夏アスパラのPRを頑張ります(^。^)


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いくつになっても子どもは子ども、母が80代で娘がアラカンでもです (笑)

母の母(私の祖母)はみなし子で、労働力としてもらわれた子だそうです。子どもの時にやさしい言葉をかけてもらったことがなく、おこられてばかりで成長したらしい。そのせいで母を育てる時にも、やさしい言葉をどういうふうにかけていいのかわからなかったらしい。

その影響なのか、母は私たち姉妹を褒めて育ててはくれなかった。いつも怒っていた。怒っているような口調でしか話さなかった。

しかも、最悪のことを想定して生活する習性を植え付けられた。良いことを考えて生きるように育てられれば、もっと若い時から広い視野と高い理想をもって生きられただろうに。

もう少し褒めて育ててもらいたかった。夢を見て追いかける生活はいいことだという教育だったら、楽しむことは良い事と思って生きてこられただろう。もっと自己肯定感が強く自信に満ちていただろう。

そのことに気が付いたのはもう40歳ちかくになってからだった。 
「何でも良い方向に考えよう。その方が楽しいよ!」
「完璧なんて無理。人間は神様ではないんだから完璧にならなくてあたりまえ。」
と生き方を変えた。

親の育て方って、アラカンになっても影響するんだと思う今日この頃。いまさら80数年生きた母の性格を変えるのは不可能だ。でも、もう少し家族を褒めてほしいよ。

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昨日、東京から帰り、すぐに野菜の苗を植えた。

母はいろいろ教えてはくれるのだけど、「そうじゃない! なにもわからないな(怒)」と、おこってばかり。最初からうまくでいるわけないでしょう。私は農家の子どもだけど、農業を実際にするのは初めてなのよ~~~

しかも、トラクターで畑を耕してくれたのは息子なのですが「 何回やっても上手に土を耕せない。まったくダメだ。」 と毎回、毎回くりかえす。

自分で耕せないから頼んでやってもらっているんでしょ? 多少、気にいらなくても「ありがとう」じゃないの? と言いかけたけどやめた。ひとこと言えば、10倍になって帰ってくるのが目に見えているので(苦笑)

「人目が悪い=世間体がわるい」 が母の口癖。他人のために自分が大変な思いをするより、多少、手ぬきをしても楽な方がいいと思うのだがそれがイヤらしい。

秋田に帰ると感じるイラッとした気持ち。これは、褒められもせず、認められもしない私の心の不満なのだ。

まじめで、神経質で、ユーモアがわからない母に育てられたので、最初の就職の時には私自身大変だった。手を抜かずに頑張ってしまうので、とうとう今で言うところの「うつ病」になってしまった。疲れたら気分転換することや、よい意味で気を抜くことができなかった。

いろいろ経験して、それなりに大人になって、とうとう母親の老後を見ることなった時には、自分もアラカン。なのに何才になっても母にとっては子どもでしかなく支配する対象なのだ。

親子ってむずかしい。血がつながっていて棄てることができないだけにますますむずかしい。

反面教師として、自分はそうならないように気をつけよう。子どもたちには、自分の好きなように生きなさいと言ってきた。人生は楽しむためにあるのよ。楽しむことは悪なんかじゃない。そして今からもたくさん褒めてあげよう!

私は体が動く限り一人で生きる。もし主人が私より長生きだったら、最後まで2人で生きる。

そのためには、体力よ! 筋肉つけなくちゃいけないのよ(笑) そして好奇心。外に出て人と話すこと。感謝を忘れず感謝の言葉を口に出すこと。

それから、巣鴨の刺抜き地蔵にお祈りして、ぽっくり行くように祈るわぁ(爆) だって息子たちの手を煩わせたくないもん。

疲れきってしまわないように、ストレスが爆発しないように、時々こうして書いて発散します。今日は愚痴に付き合ってくれてありがとうございました (笑)

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